2025.6.18

大正デモクラシーと「モボ・モガ」が変えた時計文化

大正デモクラシーと「モボ・モガ」が変えた時計文化

大正時代から昭和初期にかけて、日本は急速に近代化が進み、西洋文化を積極的に取り入れた時代でした。
「大正デモクラシー」と呼ばれる民主主義の高まりとともに、都市部では 「モダン・ボーイ(モボ)」や「モダン・ガール(モガ)」 が登場し、西洋風のファッションやライフスタイルが流行しました。
この流れの中で、時計もまたファッションの一部としての役割を担い、特に腕時計が「モボ・モガ」の象徴的アイテムとして人気を集めました。
今回は、大正時代から昭和初期にかけての時計文化と、その時代の若者たちのスタイルについてご紹介します。

■「モボ・モガ」とは?

大正時代から昭和初期にかけて、日本の都市部では「モダン・ボーイ(モボ)」や「モダン・ガール(モガ)」と呼ばれる若者たちが登場しました。
彼らは、西洋の最新ファッションを取り入れ、音楽や映画、カフェ文化を楽しむ、当時の 最先端のライフスタイルを象徴する存在でした。

✔️モボ(モダン・ボーイ)のスタイル
・ロイド眼鏡(丸眼鏡)
・セーラーパンツ
・山高帽
・ステッキ

✔️モガ(モダン・ガール)のスタイル
・ショートボブ(刈り上げスタイル)
・クロッシェハット(釣鐘型の帽子)
・洋装ワンピース
・濃い口紅と引眉メイク

このように、モボ・モガたちは当時の保守的な価値観とは一線を画し、自由で新しい時代の象徴でした。

■腕時計がファッションの一部へ

それまで日本では、懐中時計が主流でした。
しかし、大正時代になると腕時計が普及し始め、モボ・モガたちの間で流行しました。

✔️懐中時計から腕時計へ
この時代の変化を象徴するのが、懐中時計から腕時計への移行です。
それまでは懐中時計をチェーンで吊るして持ち歩くのが一般的でしたが、より実用的でスタイリッシュな腕時計 が都市部の若者の間で支持されるようになりました。

✔️セイコーの腕時計が人気に
当時、日本の時計メーカー 「精工舎(現・セイコー)」 が生産した腕時計は、モボ・モガたちにとって憧れのファッションアイテムでした。

特に、1924年に登場した「セイコー」のブランド名を冠した腕時計は、日本製の腕時計としての品質の高さを誇り、都市部の若者に広まりました。

■「時計はステータス」だった時代

大正デモクラシーの時代には、西洋文化が流入したことで、時計は単なる 「時間を知る道具」 ではなく 「個性や地位を表すステータスシンボル」 へと変化しました。

✔️高級腕時計=都会的で洗練された印象
✔️懐中時計より腕時計がスマートでモダンなアイテムとして認識されるように

特に、カフェやダンスホールに集うモボ・モガたちは、流行のファッションに合わせて腕時計を身に着け、
「時間を持ち歩く」 という西洋式のライフスタイルを実践しました。

■腕時計の普及と新しい時間感覚
都市部で腕時計が流行したことで、日本人の 「時間に対する意識」 も変化しました。

✔️鉄道の発達とともに、「時間を守る」意識が広まる
✔️定時制が強まり、腕時計を持つことが時間管理の手段として重要になる
✔️ビジネスの場で腕時計が一般化し、「社会人の必需品」に

こうして、腕時計は 単なるファッションアイテムではなく、実用的なツール として社会に浸透していきました。

■まとめ——モダンな若者たちが広めた時計文化

大正デモクラシーの時代、モボ・モガたちが好んで身に着けた腕時計は、
その後の日本の時計文化の発展に大きく影響を与えました。

✔️懐中時計から腕時計への移行
✔️腕時計がファッションの一部となる
✔️時間を守る文化が広まり、社会に定着

この時代の若者たちが愛用した腕時計は、日本人の生活様式に 「時間を意識する習慣」 を根付かせ、今もなお受け継がれる時計文化の基礎を築きました。

かつてのモボ・モガたちが見上げた時計の針は、現代の私たちにも「時間の大切さ」を伝え続けています。


とけいや時左衛門
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